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2012年01月20日(金)
宇田経済学あれこれ
宇田経済学について、ここまでの記事を書きながら、思い付いたけど書き切れなかった事を、今日は、メモ程度に書きます。

2012年01月18日の記事に書いた、交換できても同じ価値とは限らない、という考え方について、靴下と貨幣の比較よりも、もっと上手な具体例を考えました。
それは、お金という意味の金ではなくて、物質としての金(きん)、元素記号Auで表される金(きん)と、貨幣の比較です。
まず自分の手袋を誰かの金(きん)と交換します。
次に、その金(きん)を、溶かして集積回路の配線に使います。
その後で、集積回路から金(きん)を取り出して、その金(きん)で自分の手袋を受け戻します。
もし金(きん)の代わりに貨幣を使っていたら、集積回路の配線に使う、の部分が出来ません。
したがって、金(きん)と交換できても、貨幣には金(きん)と同じ価値はありません。
靴下の場合には、履けば劣化するので、履いた後では、その靴下で手袋を受け戻せない、という反論があるか、と思い、劣化は本質的な問題ではない、という事を示すために、金(きん)の話を考えました。
金(きん)は昔は貨幣として用いられていたので紛らわしい、と感じるならば、窒素ガス等の希ガスで考えると良い。
希ガスは化学反応しないので劣化しない。

・交換できるから同じ価値、という考え方への別の反論。
それでは貨幣を鋳造すると貨幣の示す金額相当の価値が世の中に生成された事に成るじゃん、巨額相当の価値がそんなに簡単に生成されるはずない。
例えば、金(きん)が貨幣として用いられていた時代から、金本位制(紙幣等で金を受け戻せる制度)の時代に移行する時、紙幣等が金(きん)と同じ価値を持つ物として鋳造されたわけだが、それでは、貨幣として用いられていた金(きん)の合計と同じ価値が、世の中に新規に生成されたのか、そんな事が有るはずない。

・第2種のペテンの実害って何だろう?
無い物を有るかの様に見せかけるのはペテンだけど、それで誰か損をしてるのかなあ?
おそらく、欲望の内容が、貨幣で買えるものに対する欲望ではなく、貨幣そのものへの欲望に変質して来ている事と、関係あるんだろうなあ。

・今までに私が書いて来た事からは、何か、貨幣は持っているほど損なもの、さっさと受益して支払ってしまった方が得なもの、といったニュアンスだが、現代社会に暮らしている者としての実感は、逆だ。
みんな買おう買おうとはしていない、売ろう売ろうとしている。
その話に早く入りたいなあ。
オセロゲームで、自分が四隅を取りたい、そこで、敵に四隅の隣を取らせる様に努める、ってのに似てるんじゃあないか。
四隅を取る、というのが貨幣を支払って受益する事で、敵に四隅の隣を取らせる、というのが、自分が貨幣を持つ、という事の様な。
貨幣で実体財を買う時に取引が不成立に成るリスクと実体財を売ろうとした時に取引が不成立に成るリスクを比較した時に、両者の比にポジティブフィードバックが掛かっているのではないか?
ひょっとすると、第2種のペテンは、これに関係あるんじゃあないのか?

・ここまでは、与益は経済全体への貸しだ、という認識に基づいて、論を組み立てて来ましたが、果たして、それで良いのか?
例えば、生卵を誰かに与える事は、生卵を貸す事なのか?
貸し、と理解すると、生卵を誰かに貸して、1年後に利子を付けて戻してもらう、という事が、まるで正当な取引に聞こえてしまうが、それはおかしいだろう。
まず、借りた生卵を戻す事が出来ない。
代わりのを買って戻すので良い事にしないと。
そうすると、1年ではなくて3日間冷蔵庫に保存でもそうだけど、貸した人が受益者で、借りた人が与益者、つまり、貸す、ではなく、預かってもらう、ではないのか?
その問題(貸借と与受益の関係の逆転)を回避するために、駐車場の場合には、自動車を預かってもらう、とは言わず、(駐車するための)土地を借りる、という風に言う。
これは、資本主義社会において、所有権の侵害こそが根本的な悪だ、という風に、所有権というものが非常に大切に考えられている事から来るのだろう。
借りる事を、歪めて、預かってやる、と言う様な詭弁、ノビタに対するジャイアンの様な態度、を通さないために、与益は常に「貸す」で表し、受益は常に「借りる」で表す、という風に、表記を統一しているのではないか、と思う。
しかし、駐車の場合には、たまたま、土地を貸す、という風に表現できたから良かったが、いつでも、預かってやる事を「貸す」で表現できる保証は無いのではないか?
生卵の場合、3日間預かる、なら、冷蔵庫を貸す、と表現できるが、1年間の場合には、貸す、で表現できないのではないか。
また、1年間の場合には、生卵を預かった人が、預かって直ぐにそれを食べ、そのおかげで、1年後までに稼いだ金額が生卵1個分増加して、その増分で生卵を1個購入して、その生卵を返却する、というのだってアリで、その場合も「貸す」かも知れないが、貸す事が与益で借りる事が受益なのか、借りる事が与益で貸す事が受益なのか、ハッキリしない。
貸した人が、生卵を腐る前に食べる事が出来ない状態だったなら、1年後に新鮮な生卵を受け取れる事は受益だろう。
しかし、貸した人が、もし自分が食べていたら借りた人が食べた場合よりも力が出たのに、という状況だった場合には、貸す事は与益だろう。
したがって、この問題については、レンタル料が発生して当然ではない、と考えられる。
この問題については、貨幣は債券ではなく、株式投資の証券(これも債券なんですか?)みたいなものだろう。
生産機械の所有者に燃料を提供して産物の一部を受け取る、という契約についても、そうだろう。
この他に、貨幣は所有権証明書だ、という可能性も思い付いた。
つまり、所有権証明書というのは、手袋で言うと、自分の手袋を経済全体に渡して貨幣を受け取ったら、手袋を経済全体に貸しているのではなく、経済全体の中にある手袋分だけの価値(実体)を依然として自分が所有していて、その所有権を証明する証書(実体の影)が貨幣だ、という考え方で、そう考えると、レンタル料は発生しない気もする。
金本位制の場合には、そういうニュアンスが強そうだ。
という事で、貨幣を債券だとするのは少し頭が固い、という感じがして来た。
与益の見返りとして発生する受益権の証書、ぐらいに考えよう。

・生卵の話し、間違いに気付いた。
生卵が預ける人から預かる人に移動する部分と、預かった人から預けた人に移動する部分を分けて考えなくてはいけなかった。
全体を通してどっちが得か、という考え方をしてはいけなかった。
自分では食べ切れなかった場合も、食べたいのを我慢しての場合と同様に、預ける部分は、預ける人の与益だろう。
直ぐに生卵を食べて元気が増加した場合も、保存にコストが掛かる場合と同様に、受け戻す部分は、預かった人の与益だろう。
この問題にはレンタル料の考え方が妥当しない、という認識は、間違ってないと思う。

・貨幣経済のルールには、ケース・バイ・ケースなものを一律に扱う事から来る弊害は、あるだろうか?
それとも、ケース・バイ・ケースのデコボコを受益とか与益という抽象的な概念に吸収させてしまえば、厳密普遍に成り立つのだろうか?

・普通我々が貨幣を実体財と同様の形式で所有する、というのは、証拠機能と計算機能と参照の便の観点から要請されるルールであって、貨幣の記録機能のみに着目すると、その事は必然ではない。
全ての者に番号を付けて、番号iの人の受益権を証明する貨幣は番号i+1の人が所有する事、というのであっても、記録の用は足りる。
こう考えると、貨幣に金額相当の価値があるのではない、という考えを理解し易く成ろう。

・鋳造の問題点って何なんだろう?
鋳造者が行使すると徴収効果が出てしまうのだった。
じゃあ無償で配布すれば、問題は公平性だけか?