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2012年01月19日(木)
不減債務の意味するもの
第1種のペテンについて、深く考えて行くと、次々に書くべき事が思い浮かんで、なかなか次に進めないので、今日は、第1種のペテンの話はやめて、別の重要な原理的問題について、書く。

それは、世界の市場に存在する貨幣の総和は何を意味するか、という問題だ。
2012年01月14日の記事に、貨幣の総和は不減債権として経済循環機関を駆動する、というレトリックが用いられているが、これを単なるレトリックとしてではなく、字義通りに解釈できる様に、貨幣の総和の意味を特定出来ないだろうか?

経済は欲望を原動力として動く、という言い方をよく耳にするので、貨幣の総和が欲望の総和である事を示せないかなあ、とか思うんだけど。

貨幣の鋳造について考える第1の意味は、第1種のペテンの看破ではなく、それが貨幣の総和を変化させる、という事だろう。
2012年01月15日の記事に書いた、鋳造された貨幣は受益者から渡されたものではない、という点に着目する、という事だ。

貨幣の総和が何を意味するか、を考えるために、それを直接考えるのではなく、まず、貨幣の総和が何を意味すべきか、を考えてみる。
そこで、もし仮に、全ての貨幣(の債権)が同時に行使されたら、という事を考えてみる。
経済全体は返済できなければいけない。
返済できなければ、それらの貨幣は、無いものを有る様に見せるための詐欺の道具だった、という事に成る。
仮にそうだった場合、それを
第2種のペテンと呼ぶ事にする。

さて、世界の市場にある全ての貨幣(の債権)が同時に行使された時に、経済全体がそれに応える事が出来る、とは、透明貨幣描像的には、どういう事だろうか?
例えば、経済全体の窓口として請求を受けた個々の者全てが取引を拒否する、ならば、経済全体は返済できなかった、という事に成る。
2012年01月15日の記事に書いたように、返済は経済全体の義務であるが個々の者は拒否できるのだった。
全ての請求が受諾される必要は無い。
請求者は、請求が受諾されなかった場合には、別の窓口を探し、どこかの窓口で受諾されれば良いから、全ての請求に対してそれを受諾する窓口が存在する、という条件に成ろう。

さて、窓口の者が請求を受けるか退けるかは、何によって決まるだろうか?
それは、請求に応えたら受け取れる貨幣で購入できる益と、請求された益の比較によって、決まるだろう。
単なる大小関係ではない。
大小関係としては、両者は等しい、と考えるべきなのではないか。
貨幣で購入できる益の種類は限定されないが、請求された益は特定の種類であるはずだ。
靴下を持っていて、靴下よりも手袋が欲しい、と思ってる人に靴下を請求すると、その人は請求に答えるだろう、そして後で貨幣で手袋を購入するだろう。
しかし、そもそも欲しいものが無い、という状態の人は、請求を退けるはずだ。
ここで欲望に繋がって来るのかな。

自分の財産の価値の合計を変化させず、その内容のみ変化させたい、という者は、必ずいずれかの請求に応じるはずだ。
なるほど、分かった。
簡単のため、労働などを考えず、物品の売買のみに限定して考えると、確かに、請求された益の合計が欲望の合計に成りそうだ。
いや、正確には、請求された益の合計が欲望の合計以下でなくてはいけない。
したがって、貨幣の合計は欲望の合計以下であるべきだ。
これで良いのかなあ?

良さそうだけど、そういうのは、宇田経済学を待たずとも、既に有りそうな気がする。
良く知らないんだけど、ケインズ経済学ってのには、そういう事が書かれてるんですか?

ここで気付いた。
それだと、取引後、欲望の合計はゼロに成る。
そこまでは言えないかも知れないが、少なくとも、欲望の合計は減少するはずだ。
それなのに、貨幣の合計は変化しない。
これでは、取引を繰り返せば、いつかは、欲望の合計が貨幣の合計よりも小さく成ってしまう。
これってパラドックスか?

何かが矛盾してるわけではなく、そう成った場合、貨幣(の債権)に対して経済全体は返済不可能だが、その債権は実際には行使されないので、貨幣が無用の長物に成っただけ、という事なのかも。
じゃあ、経済全体は不減債務によって永久に駆動され続けないじゃん。
貨幣が経済全体を強制的に動かす力を持っていて、そんな物を勝手に鋳造されると自分にまで強制力が及ぶから迷惑だ、という結論を引き出せるか、と思ったが、当てが外れた、今のところは。