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2011年09月04日(日)
慰めの論理
慰めの論理とは、美しい人ほど醜い、幸福な人ほど不幸だ、賢い者ほど愚かだ、正しい者ほど間違っている、などの言説の事で、醜い人や不幸な人や愚かな人や間違った人の、その事による心の痛みを和らげるための、麻酔である。
見ての通り、それは本質的には詭弁であり、現実・客観的事実の否認である。
従って、この麻酔も、他の麻酔と同様に、出来るだけ局所的に、かつ出来るだけ一時的に、用いられねばならない。
子供が転んで怪我をした時に「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んで行け〜」と言うみたいに、適切に用いる限りにおいては、慰めの論理も、推してはいけないものではないし、そこに、そんなのは詭弁だよ、と言って水をさすのは恥ずべき行ないだ。
しかし、もし仮に慰めの論理を社会全体に渡って恒常的に通用させる、なんて事をしたら、対象と成っている心の痛みの比ではないグロテスクな残酷(実害)が生じる。
人体に全身麻酔を掛けっ放しにする事のグロテスクな残酷さを想像して欲しい。
「やさしさ」とか「思いやり」という言葉が政党のマニフェストに登場し始めた頃から世の中が残酷に成り始めた、というのは、この辺りの事ではないか、と思う。
患者は、麻酔をかけられている期間のうちに、心の傷を癒し現実を直視しても痛みを感じない丈夫な心を作り上げるべきだ。
また、慰めの論理は詭弁であるから、それを使って他人を攻撃してはいけない。
その様な事をすれば、攻撃された人から全く正当な手痛い報復(論駁)を受けて、もっと傷付く事に成っても、文句は言えないはずだ。