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2008年4月14日(月)
自分さえ良ければいい、をめぐって
自分さえ良ければいい、という考え方は、基礎的な悪として、しばしば目の敵にされる。
しかし、これを語るときには、いわゆる思考停止状態に陥る人が多いので、もう少し分別を改善するために、ここでは、この考え方を、自分だけが良いのでなくてはいけない、という考え方や、少なくとも自分は良くなければいけない、という考え方や、自分より良い人が居てはいけない、という考え方や、自分だけ良い状態にある人が居てはいけない、という考え方と比較して、論じる。
結論を言うと、自分さえ良ければいい、という考え方は、自分だけが良いのでなくてはいけない、という考え方ほどには間違っていないし、また、自分さえ良ければいいのか、という批判は、自分だけが良いのでなければいけない、という考え方ほどには正しくない。
自分だけが良いのでなくてはいけない、という態度は、決して、そんなものあるわけない、といったものではなく、たとえば、目上の人の目下の人に対する態度に見られる。
つまり、俺は偉いんだ、という態度だ。
目下の人が同じぐらいに偉かったり、自分よりも偉かったりしては、いけない、という考え方で、これに比べれば、自分さえ良ければいい、という考え方の方がマシだ。
自分さえ良ければいい、という考え方は、自分が自分の実際の偉さに応じて評価されさえすれば他者が同じぐらい評価されようが自分よりも高く評価されようが一向に構わない、という考え方であり、欲深くない。
自分だけが良いのでなくてはいけない、という考え方は、また、勝負事にも見られる。
勝負事では、自分も相手も両方とも勝ったのでは、いけないのであって、はっきり白黒付ける必要がある。
それをしない事は、逆に不道徳である。
これに対して、自分さえ良ければいいのか、と批判する事は、非常に的外れだ。
さらに、少なくとも自分は良くなければいけない、という考え方によっては社会は滅びないが、自分より良い人が居てはいけない、という考え方は社会を滅ぼす。
少なくとも自分は良くなければいけない、という考え方は、出来れば他人も良くしてあげたいけど、そのために自分を犠牲にはしない、という考え方であり、余力が無い場合には、自分の事で精一杯に成る。
その場合、自分だけ良い状態に成るが、本人はそれを良いとは思っていない。
全ての人がそういう風に善良だ、とは思わないけれど、普通はそういうものだろう。
本気で、自分さえ良ければいい、なんて思ってる人は、探すのが難しいぐらい少数だと思う。
少なくとも自分は良くなければいけない、という願望を皆が成就させたなら、万事OKな社会が到来する。
それは、自助努力に基礎を置く社会の成り立たせ方で、基礎的な悪呼ばわりされるほどには間違っていない。
これに対して、自分より良い人が居てはいけない、という考え方は、他人を犠牲にする事によってではない自助努力に依拠する生産を抑制し、結果として全体を欠乏させる。
したがって、自分より良い人が居てはいけない、という考えの方が基礎的な悪であり、この考えを持つ者が、少なくとも自分は良くなければいけない、と考える優秀な人に対して、自分さえ良ければいいのか、といって言い掛かりを付けている事が多い。
自分さえ良ければいいのか、という批判の実態は、おおよそこれであり、その場合には、上に述べた理由によって、これは、ぬすっと猛々しい言い掛かりだ。
確かに、社会を成り立たせるためには自助努力だけでなく相互扶助も必要だが、それを他人の足を引っ張るために使うのは当然間違っている。
議論においては、間違えなかった人が間違えた人に対して、自分だけが良いのでなければいけない、という態度を取るのが正しい。
これに対しては、自分さえ良ければいいのか、なんて甘えた批判は、全く見当違いだ。
それは、うやむうやにする、とか、もみ消す、という行為に該当するからだ。
自分さえ良ければいい、という考えは、他人にチョッカイを出さない。
当然、自分さえ良ければいい、なんて考え方は、上等な考え方ではないのだが、残念な事に、自分さえ良ければいいのか、という批判の方が、他人にチョッカイを出す手段として用いられている場合の方が多い。
協力しない事によってよりも介入する事によっての方が問題を起こす、というのが、人間の実態である。
だから、法律では、行為の禁止が主で、行為の義務付けは従と成っているのだよ。