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2007年12月25日(火)
面白くはないでしょう
今日は、テレビの告発番組を見て、腹立たしくももどかしい気持ちに成った。
今もその胸くそが悪い気持ちが続いているので、これを書く。
子供の頃の私なら、告発の対象と成った犯人に対してのみ、腹が立っただろうけれど、今の私は、そればかりではない。
と言うのは、今の社会が、自ら進んで悲惨を製造する体質に成っている、と感じるからだ。
連日のように、何かと事件性を張り合うかの様に、おや?と思わせる悲惨な事故や事件が報じられる。
「おや?」と言うのは「意図的に起こしたんじゃあないのか?」という事だ。
個別具体事例においては、決して狂言ではないのだが、社会全体として見れば、自作自演なのだ。
論理的に言えば、悲惨を防ぐ努力を故意に手抜きして、犯罪者を八百長で勝たせている、という事だ。
今日テレビで見た件については、どうして、ここまで放置され続けたのか、という事だ。
放置せざるを得ない理由なんてどこにも無い。
加害者も、良心の呵責というものが無さ過ぎる。
無用心にも、弱い者が悪い者に自分から近付いて行く。
広島県知事が、強姦された女性について、夜中に出歩くのもどうかと思う、と発言して批判を受けたが、確かに、この件について被害者を責める事は出来ないが、では一体どういう言葉で表現すれば良いのだ?というもどかしさを感じるのも事実なのだ。
何かがおかしいのだ。
他人に迷惑をかけなければ何をしても良い、というルールの濫用なのか?
それとも、差別はいけない、という教えがいけないのか?
思いやりを、という考えが、犯人のぬすっと猛々しい主張を通しているのか?
他人に迷惑をかけなければ何をしても良い、というのは、幸福の追求や業績樹立のためのアプローチについてであって、自傷行為についてではない。
女性に限らず、若年層に、自傷的傾向が広がっている気がする。
女子高生のヤマンバルックを見たときに、おや?と思った。
化粧というものは、自分をより美しく見せるためのもののはずなのに、ヤマンバルックは、自分をより汚くするものだったからだ。
自分を汚くして、自分を笑いものにして遊んでいる。
それでも、あれは、怪我をするわけではないから、まあ、本人の自由だ、と言われれば、仕方無いが、怪我をする事についてまで、そうは言っていられないだろう。
そういうものについては、身体で遊ぶな、と言いたい。
笑い事ではない。胸くそが悪い。
テレビの映像が気持ち悪かった、という意味ではないよ。
宗教国では、身体で遊ぶ事は神を冒涜する行為だ、とでも言うのだろうけれど、宗教を持たない我々でも、そのぐらいの事は直感的に分かるだろうが。
理由は、考えれば必ずある。
刺青もそうだし、美容整形もそうだ。
これらは、必ず怪我につながる、とは限らないので、本人の自由だと言われれば、本人の自由なのだが、それでも、怪我につながる危険性が高そうだ、という事ぐらいは、本能的に分かるだろうが。
美容整形には、実力の不足した医者や悪徳業者がたくさん含まれていそうだし、刺青は、消そうと思っても消せるとは限らないので、後で後悔しない、という絶対の自信が無い場合には、すべきではない。
美容整形に比べると刺青は技術的に難しくないだろうから、実力の不足した彫り師というものは、美容整形における実力の不足した医者ほどにはたくさんは居ないかもしれないが、悪徳業者の含有率は、刺青業界も高そうな感じがする。
刺青に対する偏見が無ければ誰でも刺青する、という類のものではないのだ。
喩え話をしよう。
道の向こうから包丁を振り回しながら走って近付いて来る人が居たら、その人との接近を回避するべきだろう。
道を歩いていて包丁で切られたり刺されたりはしない権利を自分は持っているから、と言って、危険を回避しないで良い、という事には成らない。
そういう危険の回避については、その判断が差別に基づくものであっても、かなりの範囲で、許されるはずだ。
むしろ、そういう場合には、差別に基づく判断も動員して、危険の回避に努めなければいけないのだ。
合理的な理由は提示できなくても良い。
選挙における投票も同じだ。
直感を補正する知識が特別に発達した人や危険処理能力が特別に高い人以外は、直感的に「危ない」と感じただけで、その感覚を危険回避行動に反映させなくてはいけない。
誤解の無い様に言うが、今日見たテレビで告発されていた犯人がテレビで言われていたほどには悪くない、と言うつもりは全く無い。
それらは、同情の余地無く悪かった。
最後に見た美容整形外科医は厳罰でも足りない、と思った。
この者は、この者の罪を追及する者に向かって「人に迷惑をかける事をするな」と言っていた。
ここにも、ぬすっと猛々しい発言が、出ている。
人に迷惑以上のものをかけているのは、この美容整形外科医だと言うのに。
犯罪と被害は可能な限り未然に防いで、悲惨な事は滅多に起きず、面白くも可笑しくもない、という社会が正しいのだ。
インチキの木は枯れるのだ。
なぜなら、その部分をいじっても、面白くは出来ないからだ。
現実は演劇ではないぞ。
演劇ならば悪役も必要だが、現実社会に悪役は必要ない。
悪い事は無ければ無いほど良いし、悪い者は居なければ居ないほど良いのだ。
これは、悪い事が有るのに、そういう事は無い、悪い者が居るのに、そんな人は居ない、と言っているのとは違う。
悪の存在しない世の中は面白くないから、という理由で、潰せる悪を潰さずに生かしておく、という態度には、一分の理も無い、と言っているのだ。
2007年10月31日の日記に私が書いたように、正義に面白さを求めるな。
お前ら、これが面白いのか?(反語表現)