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2007年12月6日(木)
直近の朝生を見て
今、ビデオで見終わった。
僕からのアドヴァイスは次の二点。
一つ、国策捜査、というものが、正当なものではなく、不当な取調べとしてあるとすれば、その本質は、別件性であろう。
つまり、逮捕処罰したい対象者のどこかに、それ自体としては犯罪ではない何かがあり、それを理由にして、その人を逮捕処罰するために、何でも良いから粗探しをして、粗を見付けて、それを理由に逮捕処罰を目論む、というパターンだ。
番組では、検察や警察が表向きの逮捕理由としている事項についての吟味ばかりがなされていたが、検察や警察を動かせる原因になったのは逮捕処罰対象者の何だったのか、という点の方が肝心だ。
それから、その点に目を付けて、検察や警察を駆動したのは誰なのか、という点も。
もう一つ、犯罪の立証、という作業は、とても出来にくい事だと思うので、検察や警察に対して、それが出来て当たり前、少しでも落ち度があれば袋叩きにする、という姿勢で我々が臨むのは、間違いだと思う。
前者に関しては、たとえば、既存の勢力の承認を得ずして自分で勝手に経済的な大成功を収め贅沢三昧をする、という事が、取締りの対象と成る様では、当然いけない。
それから、国策捜査によって選挙で誰が勝つかをコントロールする行為も、当然いけなかろう。
私の場合、国策捜査と言うと被害妄想に成るが、たとえば、大学を卒御した直ぐ後、自分の上に何者をも置かず、自分の主人は自分のみである、という自主独立の生き方を始めるや否や、自転車で散歩中に、警察官がまるで罠にでもかけるように、自転車泥棒の職務質問をして来た事がある。
これは、東京での事だが、警察官の一人が私に質問し、もう一人が数メートル前方で待ち構えていた。
この状況は、私が自転車泥棒でなくても、職務質問して来た片方の警察官から私が脅威を感じて逃げ出せば、前の警察官が取り押さえて、何故逃げたんだ、と迫って来る、という危険性をはらんでいた。
もちろん、私は、自転車泥棒ではない。
学生時代にも、警察官による自転車泥棒の取り締まり、というものには出会っていたが、このときのは危ない感じだったので、今でも、何だこれは、という風に覚えている。
つまり、そのとき私は、警察官が、取り締まってはいけないはずのものを取り締まっているように、感じたのだ。
私は犬ではないのだから、飼い主が居なければ野良犬だ、という事にされては心外だ。