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2007年11月27日(火)
生意気な目上の者
生意気とは、無能な者が有能な者のごとく振舞う事であり、特に、自分よりも有能な相手に対して、相手よりも自分の方が有能であるかのごとく振舞う事だ。
生意気が、若者の年長者に対する態度について言われる場合が多いのは、統計的には年長者の方が若者よりも有能であるのが普通だからであり、逆に、具体的な若者個人が具体的な年長者個人よりも有能な場合には、年長者の若者に対する態度が生意気だ、という事も、起こり得る。
その意味、生意気な若造とか青二才という言い方が妥当する局面があるだけでなく、生意気なジジイ、という言い方が妥当する局面もある。
生意気は、たいていの場合、口の利き方について言われる事だから、それが生意気であるか否かを決定する能力は、たいていの場合、知力だ。
目上の者が目下の者に優劣に関する事実で負けるのは可哀想だから、という理由での弱者割引は一切無用である。
なぜならば、弱者割引は、実利に関してのみであり、事実に関しては設けてはいけない、からだ。
逆に、言うまでも無く、目上の者には目下の者と実利に関して完全な自由競争をする権利は無い。
口の利き方に、知力の優劣を正しく反映させる事と、目上か目下かを正しく反映させる事とは、独立である。
つまり、話体の設定としては、両方を別々に設定しなくてはいけない。
目上か目下かを正しく反映させるいわゆる敬語表現は、義務ではないが、私は、自分からの発語時適宜、自主的に採用して来た。
目下の者が目上の者に正しく敬語表現を用いつつ、自分の方が相手よりも優れている、という事実を、正しく反映させて発語する、という事は、上記の独立性の故に可能である。
典型例を挙げれば、昔のいずれかの王国で、王の教育係が王に接する時の話体がそれだ。
なのに、目下の者が目上の者よりも有能である場合がある、と言うと、直ぐに、目上と目下が一般に考えられているものとは逆である場合があるのか、という風に誤解する人が出たり、大人が小学生に尊敬語で話すのか、という風に誤解する人が出たりする。
こういう揚げ足取りには一々腹が立つ。
私が御世辞の放棄をしてから、その態度が理解されたとは言えなくとも、少なくとも、私が自分達の思い通りには行かないらしいという事に周りの人が気付きだした頃から、私の言動は、一挙手一投足、一言一句に至るまで、曲解されるようになった。
私が、以前、何にでも語末に「ぞう」を付けて、その語感を楽しんでいたとき、「わけわからない」を「ぞう」で終わるようにして、「わけわかぞう」と発語して楽しんでいた事がある。
それを、私が「若造」と発語した、という風に曲解した者が居る。
「あほくさい」が「青臭い」にされた気配もある。
怒った時に口がもつれて、「馬鹿」と言いたかったのに、その意志の形成が発語に間に合わず、発語が先走って「あぁまぁ」に成ってしまったら、「尼」という風にされてしまう。
他にも挙げればキリが無い。
あ、そうそう、私は、ヒステリーを起こしたとき「ああ、もう」と叫ぶ場合が多い。
これがなまって出たのだろう。
最も不届きなのは、名誉に関わる事実を大切にする、という私の姿勢への曲解、であろう。
いや、まて、もっとひどいのもあったかもしれない。
ただし、私にも、発語の意思形成の段階で既に間違っていた事もあるし、間違った行動をした事もある。
そういう事まで、他人のせいにするつもりは無い。
私にとっての生意気な目上の人第一号は、十台後半のときに相談を持ちかけたカウンセラーだ。
その人には、実利面の連絡で支援された気配を感じる反面、対面時に言葉で人格や能力をさんざん矮小化された。
それが、年功よりも自分の才能を高く置く私の態度に対する単なる報復である事は、まだ子供だった当時の私が見ても、あまりにも明白だった。
これでは、少なくとも心理面のカウンセラーとしては、犯罪的なまでに失格だ。
私の場合、生意気な目上の人が生意気なのは、私に初めて会って間も無い頃で、その後、十分に私を知る機会に恵まれた人は、私の年功よりも自分の才能を高く置く態度も故あり、と納得して去って行く。
さて、再び少し論理的な事を書くと、敬語表現は事実の否定を含まないのでその使用は任意だが、生意気な口の利き方というものは、事実を否定するから、違法ではないにしても敬語表現ほどには任意ではない。
敬語表現の不使用は、高々人格的対等の主張だが、生意気な口の利き方は、相手の名誉に関わる事実を、無かったかのように話す、相手の人格の否定である。
具体例を挙げると、相手の意見に対して「なるほど」で応じるか「そうだ」で応じるかによって、生意気であるか否かが変わる。
相手の意見が初耳であり同意するなら、「なるほど」で応じるべきであって「そうだ」で応じるべきではない。
「そうだ」で応じると、そんな事あなたに聞く前から知ってたよ、という事実関係を主張している事になる。
もちろん、具体例はこれに尽きるものではないが、今日はこの辺にしておく。