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2007年11月25日(日)
学校奇談
私が学校の先生の反応の異常を初めて感じたのは、私がまだ小学生のときだった。
なにぶん、そのときの私は、まだ小学生だったので、先生は徹頭徹尾正しいものと思い込んでいた。
そのため、自分が何か悪い事をして叱られたかのように感じて、少しへこんだ。
具体的には、それは、社会科の授業内容ないし教科書の特定の部分の内容のまとめを作れ、という先生からクラスのみんなに課された要求に対して、私が、ウェブ状の図形を提出したときに起こった。
その時の私は、まとめと言うからには枝葉末節の削除等の何らかの付加価値を付けねばいけないだろう、と思って、そのまま書き写した類のものではいけない、と思った。
しかし、そのまま書き写した類のものを提出した生徒の方が、先生から受け入れられていた。
私の提出内容が劣っていた可能性はあるが、何か悪い事でもしたかのように言われた事から、逆に、そうではない、と分かる。
先生の態度は、劣った成果に対する態度ではなく、道徳的悪事に対する態度であった、からだ。
実際に先生の方が正しかった、というケースとの判別は微妙なので、私は、先生と生徒を差別して、先生の敵、生徒の味方に成るつもりは無い。
実際、同じ小学校で、私は、掃除の時間に、高い位置にある窓を拭くために、傘に雑巾を取り付けて窓を拭く事を試みた事がある。
それを見たある別の先生は、まずは、工夫しようとする私の態度を褒めてくれた。
しかし、いつまでも私がそれを続けていると、その先生は、やってみて駄目だと分かったらいつまでも続けるな、という風に私をたしなめた。
これなどは、先生の方が正しく、私の方が間違っていたから、先生の反応の異常ではない。
また、私には、先生の権威によって他生徒からの理不尽な難癖を論駁する手間と苦痛から救われた経験も、有る。
さて、別の例を挙げると、同じ小学校で、理科の時間に、光の直進性を習っていたとき、私が、床面上に投影された窓枠か何かの影の境界がぼやけている事を、光の直進性への疑問として提示したら、担任の先生は「みんな、宇田君の言う事を聞いてはいけない」という風な態度を取った。
理科の先生ではなかった。
これは、今の自分の専門分野に属する事だから、先述した社会科の件についてよりも大きな自信を持って言えるが、この先生の態度は、明らかに甚だしく間違っている。
私の経験は、以上に尽きるものではない。
今の私の心には、そういう辛い経験が全て刻み込まれている。
そういう経験を積み重ねる毎に、先生やそれ以外の人のそういう態度に対する私の心の中の怒りの炎は大きく成り、今や核爆弾のごとくに成っている。
最近において、その炎によって他者の面目と自尊心を私がことごとく無下に焼き払ったときに、その行為を、何て傲慢で独善的なんだ、という風に思った人は、それまでの経緯に対する配慮が欠ける。
100人のコソ泥に遭った人は、1番目のコソ泥に対してよりも100番目のコソ泥に対して、はるかに激しく怒るだろう。
今度こそ許さない、という風にだ。
その、100番目のコソ泥に対するその怒り方だけを見て、怒り過ぎではないか、と言うのは、的外れだ。
今の私は、自分の方が正しくて相手の方が間違っている場合には、その事実を一切割り引かない事にしている。
その事に関しては、私には、一切の情け容赦は無い。
私の怒りは、とっくの昔に、もう許さない、というレベルに達しているからだ。