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2007年11月21日(水)
競争による競争妨害
名誉に深く関わる事実を競うエリートカテゴリー以外の分野での競争が過度に激しく成ると、そちらでの競争に脚を取られてエリートカテゴリーでの競争が阻害される。
これは、個人のレベルでも言えるし、国のレベルでも言える。
つまり、エリートカテゴリーでの競争に自分自身という人的資源を十分に投入出来る人とそうでない人との間に、競争の前提条件の差が生じ、エリートカテゴリーでの競争がフェアでなくなる。
これは、端から蚊帳の外に置かれている人も含めて、エリートカテゴリーでの競争に負けた人に、自分には十分な機会が与えられなかった、という言い訳を、許す。
それが正当な弁解である場合すら例外的ではない、という事態を招く。
これは、言ってみれば競争による競争妨害である。
競争相手を増やしたくないエリートカテゴリーのプロだけでなく、エリートカテゴリーでの競争に勝てる見込みの無い事実弱者の中には、この種の競争妨害を目的に、非エリートカテゴリーでの競争を意図的に過度に激化させて来た者が少なからず居る。
喩えて言うならば、これは、将棋盤を揺さぶるような破壊行為だ。
当事者が自ら「ぶっこわす」と言っていたでしょう。
名誉に深く関わらない実利の分野で自由競争主義を無制限に適用してはいけない、という考えは、弱者割引の観点からだけでなく、このような競争妨害を抑制する意味でも、重要だ。
実際の場合に即して言うと、競争そのものであると考えられがちな入学試験や職業選択が、実質上は、社会において、競争を妨害する機能を担わされている。
つまり、エリートカテゴリーを職業に出来なかった人には、その時点で、それ以降はエリートカテゴリーで他者と競う事に職業に対する以上の力を入れさせないように妨害する、とか、エリートカテゴリーに属する事項を学ぶ学校の入学試験に合格できなかった人は、それ以降は、その分野について勉強を諦めるように強制される、という事実がある。
しかし、先述したように、事実に関する競争は完全に自由でなければいけないから、不可避な理由に基づくのではなく、自分で勝手に競争種目を選択して競争を続行するという行為自体を敵視して取り締まる事は、表面的には競争の促進を理由としたものであっても、実質上は不当な競争妨害である。
エリートカテゴリーで社会に貢献できる見込みの無い者に、いつまでもダラダラと夢を追いかけて居られたのでは、社会全体の効率が低下し社会が成り立たないのだ、という社会からの言い分にも一理あるのだが、この言い分は、少なくとも、いわゆるエリートコースを離脱して全て自己責任でエリートカテゴリーに属する結果を出した者に対しては、全く効力を持たない。
それから、見込みが無いと思われている人が夢を追いかけ続ける事が社会的に無駄で浪費的である、という考えは、社会主義思想の「宗教はアヘンだ」という主張と本質的には同じだ。