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2007年11月15日(木)
仕事の厳しさとは除去不可能な苦労の事である
仕事を指導する立場の人の中には、仕事において楽をしようと考えてはいけない、と言う人が多い。
楽をしようとすると仕事の質が落ちる、という意味においては、それは正しい場合が多いだろう。
しかし、仕事の質も量も落とさずに楽をする事は、悪い事ではないばかりか、仕事をする人が常に目指すべき事だ。
なぜなら、余裕というものは、仕事の質を安定させるし、仕事以外の生活の荒廃を防ぐからだ。
創意工夫によって仕事を出来るだけ楽にこなすように努めた上で、どうしても避ける事が出来ない苦労だけが、仕事の厳しさだ。
楽をするための工夫を全くしない場合の苦労から仕事の厳しさを差し引いたものは、仕事ではなくスポーツである。
ただし、スポーツを職業とする人の場合は別だ。
スポーツと仕事の違いは、たとえば、勤労感謝の日にねぎらわれる活動であるか否かの違いだ。
仕事というものは、暗黙裡にであっても社会の負託に応えてするものだが、スポーツは、個人の趣味として任意の意志でするものだ。
仕事において、楽をしようと創意工夫する者に、そんな事をしたら仕事が簡単に成ってしまうではないか、という憤りに基づいて、やめなさい、と叱る者は、自分と一緒にスポーツをしなさい、という風に強制する愚か者である。
スポーツへの参加は任意の意志によるのであって、参加の強制は不当だからだ。
愚かであるからそんな事は誰も言わないのかというと、日本社会にはそういう愚か者が跳梁跋扈している。
その背景には、不公平の概念がある。
仕事という不可避の活動には一般には苦労が伴う。
あまねく万人がそれを負担して社会が成り立っている。
その負担を勝手に免れる者が居ては不公平だ、というわけだ。
このように、不公平の概念の濫用は、正義の大敵である。
ただし、ここに書いた事は、楽をするための工夫を全くしない働き手への報酬を、今まで支払われていた額から仕事の厳しさ分だけの額に減じるべきだ、と主張するものでも、労働への従事時間の全てが仕事の厳しさだけで満たされるように仕事を増量するべきだ、と主張するものでも、ない。