since 2003
イレコナビ サイトマップ
< 日記 >
< 2007年09月 >
< 06日 >
2007年9月6日(木)
精神科学による人格の矮小化
コンピュータを見れば分かるように、その挙動を決定する要因は大きく分けて 2 つある、と言って良いだろう。
ハードウェアのスペックとソフトウェアのアルゴリズムの 2 つだ。
喩えて言うならば、精神科学は、ソフトウェアのアルゴリズムの違いによって生じる挙動の違いまで、ハードウェアのスペックの違いによる、という風に、事実を歪曲する傾向がある。
悪意は無く単に誤解しているだけの場合でも、結果的に歪曲してしまっている場合が多い。
具体的に言うと、ある人が、普通の人は絶対にしないであろうような意思決定を、人並み外れた強靭な理性によって、敢えてした場合、精神科学に洗脳されている者は、その結果を見たときに、精神の異常が原因だ、と評価する方向に偏る傾向がある。
これは、考え、というものの果たす役割の重要性に対する理解の欠如の端的な現れだ。
それから、統計的に言えるだけの事を個別事例に適用して疑わない軽率で無反省な態度でもある。
ものの道理をわきまえている人ならば、まず最初に、何か特別な考えがあってした事なのだろうか?何か特別に優れた人なのだろうか?という風に疑うべきだ。
しかし、精神科学に偏る者は、誰かが特別な考えに基づいて意図的にした事も、無意識的に自然にそう成った、という風に矮小化する傾向がある。
私は、人間の心理現象も物理現象に過ぎない事ぐらい知っている。
その意味では、あらゆる意思決定は、自然にそう成ったものである、とも言えるだろう。
しかし、私の言う「精神科学に偏る者が事実を矮小化する」というのは、そういう意味ではない。
極端な話し、演劇の勉強をしている者が、修行として、他人に迷惑をかけない範囲内で徹頭徹尾、傍からは精神病患者に見えるように行動し続けたらどうなるか?という事だ。
私も、そこまでは行かないが、以前は時々、任意の瞬間に、誰にも説明せず、ボケた振りをして遊ぶ事があった。
絶対にと言って良いほど、誤解される。
そのぐらいに、考え、というものの果たす役割は大きいのだ。
特別な考えに基づいて尋常ではない選択をしたときに、それを全て病気だとされたのでは、選択の自由というものが保障されない。