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2007年9月3日(月)
今度は「キレル」か?
今日のNHK「クローズアップ現代」で、最近キレル大人が増えている、という報告を見た。
僕の感想の要点は、またしても精神の問題に対して医者が出て来て何やら言っている、けしからん、というものだ。
憲法に「内面の自由」というものが保障されている。
当然の事だ。
社会が個人の精神の問題に強制力を持って介入しては、いけない。
なるほど、医者は警察官ではないから、医者が出て来ても、社会が個人の精神の問題に強制力を持って介入した事には、成らないかもしれない。
しかし、少なくとも医者は病断を下す。
これがクセモノだ。
医者が「病気だ」と言えば、その主張は客観的事実だ、と社会的に公認されてしまう。
これでは、社会が個人の精神の問題に強制力を持って介入しているのと同じだ。
であるから、精神の問題に対して医者が出て来る、というのは、例外中の例外、いくらなんでもこれは、という場合に限られねばならない。
もっと言うならば、精神医学などという怪しい自称科学を、実社会の医療現場に反映させるなど、気違い沙汰だ、とすら言える。
私も、理論物理学における独自の学説を提唱している者だが、それを裁判における事実認定に反映させてはいけない事ぐらい、わきまえている。
精神医学の学者が学説を述べるだけなら一向に構わないし、医者がその学説を信仰するのも自由だ。
つまり、学問の自由、思想表現・言論のレベルに留まるなら構わないが、医療処置(強制的な投薬や逮捕監禁)を伴う臨床医療で、性懲りも無く「・・・うつ病だと診断されました。最近のうつ病患者は攻撃的な言動を症状として現す場合があります」とやっているようでは、如何に言っても、まずい。
現代法の考え方の中には、罪刑法定主義というものがある、と聞く。
誰に対しても、裁判を経ずして刑罰を科してはいけない、という原則だ。
そのために、警察は大変な苦労をする。
犯罪立証に少しでも抜かりが有れば無罪判決が出る。
それなのに、精神科医療機関を使えば裁判無しで逮捕監禁できる、という抜け道があっては、断じていけないのだ。
裁判で検察側に課される立証責任に比べると、全く何も立証できていないに等しい状況で、精神科医は、いとも簡単に有病判決を下し、強制的な投薬と監禁を指示する事(あるいは、患者に治療が必要だと誤解させて自主的に投薬監禁を受けるように仕向ける詐欺行為)が、長い間、放置されて来た。
その中には、医学判断(理科の問題)に徹する事をせず、とぼけた頭で、法正義に反する独りよがりな正義感(社会科の問題)を振りかざして、裁判官を気取る大馬鹿者も、居る。
これから直します、で許される話ではない。
この抜け道の濫用者(非常にたくさん居るはずだ)には、監禁致傷罪(こんな罪名は無いか?)を適用する必要がある。
言っては悪いが、一般的に医者というものは、裁判官ほどには頭が良くない、あるいは、裁判官ほどには勉強していない。
十歩か百歩か知らないが譲って、専門分野が違う。
所詮全ては世渡りに過ぎない、という風にひねくれた、医者のドラ息子が、医者=富裕層という短絡的な思考に基づいて、ろくに勉強もせず、付け焼刃的な受験指導を大金で買い与えられ、偏差値の低い大学の医学部へやっとこさ入学し、入ってからも遊びほうけ、難しい理屈には、単に不快だからという理由だけで耳をふさぎ、もうろうとした頭で医療業務に就いているケースは、社会に蔓延している。
このような者達に汚染された医業は、もはや尊敬される職業などではない。
その中でも特に蔑視される精神科には、最低の人材が集まっている、と踏んで間違いなかろう。
その医者ごときに裁判官の役割を任せる事は危険極まりない。
危険であるから、既に事故が多発しているはずだ。
任せるならば、医者にも司法試験を課す必要がある。
それでも十分とは言えない。
裁判は弁護士一人で采配され得るものではないからだ。
今日のNHK「クローズアップ現代」は、いくらなんでもこれは、というケースだけを取り上げたつもりなのだろうけれど、僕の目には、判定の難しいきわどいケースばかりだった。
一見しただけでは、いくらなんでもこれは、とまでは断定できない。
ひとこと言わせてもらうと、いつ怒っていつ怒らないかは、精神の健康状態だけでなく、その人の、知識や理解によっても変わる。
問題があるとしたら、そちらに問題(欠陥)がある場合の方が多かろう。
自分が怒った際にどこまでの言動が許されるのかについての理解や知識というものは、健康な人でも不足しているのが普通であって、かなり法律の勉強をした人でも、ギリギリのラインは分からない、と思う。
だから、普通は、ギリギリのラインよりも十分に手前で止めておくのが無難だ。
また、健康で知識や理解も十分にある人でも、即時的な対応が出来るとは限らない。
知識や理解とスキルは違うからだ。
むしろ、怒れば間違いを犯すのが普通であって、怒った際に間違った言動をしたからと言って、その事を理由に病気だとは言えない。
つまり、行動が禁止領域に踏み込んでいるからと言って、その原因を病気だとするのは、早計だ。
些細な事に対して怒ったから病気か?
「些細な事から口論になり・・・」というのは、昔から、暴力事件の顛末についてのニュースでの解説の決まり文句だ。
昔と今では件数が違う?
そうかもしれないが、では、昔の些細な事から口論して殺人した人は、病気だったのか?
怒りっぽい人は昔から居たではないか。
高齢の男性には怒りっぽい人が多い、というのが相場だったではないか。
あれは全部病人だったのか?
怒ったために暴力を振るってしまう人も昔から居た。
それらを、健康な人の行為だから許される、と言うつもりは、私には毛頭無い。
私が言いたいのは、それらは社会科の問題であって理科の問題ではない、という事だ。
つまり、出て来るのは、警察や裁判所であって、医者の出る幕ではない。

そもそも「キレル」とは「怒る」の言い換えにしか過ぎない。
それに対して、ことさらに「キレル」などという名前を付けて、医者がしたり顔で、化学的メカニズムを説明している様は、風刺画そのものだ。
これは、笑って済まされる話ではない。
みんな、もう忘れただろうか?
大脳モルヒネがどうのこうの、という本がベストセラーに成ったのを。
読んで楽しむ限りにおいては良いが、ああいう言説の類を医療行為に反映させて良いはずが無い。
しかし、それをやっているのが精神科医療の実態だ。

怒る事についてまで一々症名を付けるように成ったのは、一体どういう事なのか?
怒る事は、健康な人間の健康な心理現象だ。
こんな事では、喜怒哀楽の一々が病気の症状とされかねない。
精神関係の学問は、いくら出番が無いからと言って、見境無く出番を作れば良い、というものではない。
本来、精神科医療なんてものは、既に廃人のように成ってしまっている極々少数の人を、精神的にはそのままの状態でそっと保存するだけのためにあるのであって、食事を与える等の肉体面での援助は構わないが、良かれと思ってであっても、本人から要請されもしないのに、薬物によって一方的に、相手をもっと元気にしたり、元気の良過ぎる人の勢いを衰えさせたり、という他人の内面のコントロールをする権利がある、と考えるのは思い上がりだ。
したがって、本来は、精神科医なんてものは、原則、出番なんて無いし、儲からないし、他科の医者にはあるような手柄も無いはずなのだ。
ところが、実際には精神科医がジャンジャン儲けている、という事は、この道理を捻じ曲げて、健康な人にまで精神科医療の押し売りをしている悪辣な医者が居る事の現われだ。
その中で最も悪質なケースが、もみ消し行為への加担だろう。

精神科医療機関の監禁施設は、抜き打ちの査察を入れて監視しなければいけない。
投薬によって健康な人を廃人のように見せかける事も可能だから、そのような不正を見抜く事も大切だ。
人権に関わる事なので、不正は凶悪犯罪であり、したがって、不正には厳罰を持って対処しなければいけない。
犯人が無期懲役や死刑に成る場合は、当然あって然るべきだろう。

「キレル」と「怒る」では違う、と言いたい人も居るだろうが、その辺りから話がおかしく成っている。
今日のNHK「クローズアップ現代」では、国谷さんは「キレルという言葉は1990年代後半に登場した」みたいな事を言っていたが、「キレル」は、もっと前からあった。
関西弁に、「ぶち、きれるぞ!」という言い回しがある。
丁寧に言うと「ぶちっと切れるぞ!」だ。
関西弁では「て」「に」「を」「は」が、しばしば省略される。
標準語で言うと「僕は怒るよ」といった程度の意味だ。
僕は、それを、1980年代に関西出身の友人から初めて聞いて知った。
騒音おばさんの「しばくぞ」と同レベルの俗語だ。
確かに、「怒る」よりは「キレル」の方がキツイが、意味としては「キレル」も「怒る」も同じだ。
そうでないとしても、キレル事は、近年生じた病理ではなく、関西圏では昔から、たくさんの人がキレたらしい事が、この表現の由来から分かる。