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2007年7月22日(日)
高校物理の大体
私は、物理学は正式には大学に入ってから学ぶ科目だ、と認識している。
そのために高校で学んでおかねばならないのは、高校物理よりはむしろ高校数学だ。
高校で物理を学んでいなくても、高校数学さえキチンとマスター出来ていれば、大学へ入ってから物理学を始めても、何とか成る。
なぜなら、大学の物理学では、高校物理とは取り扱い方が違うけれども、高校物理で学んだ事を、既に学んだからと言って省略したりはせず、やり直すからだ。
極端な話、高校物理という科目は必要不可欠ではない。
これは、高校でもっと大学の物理学をやれ、という考えの正反対だ。
では、宇田は「高校物理を無くせ」と言うのか?
ととととととと、トンデモ御座いません。
高校物理では、大学で正式に学ぶ物理学での考察の対象となる事物や概念を把握する事を、目標にするのが良かろう。
原子、電子、力、質量、エネルギー、運動量、温度、電流、電場、磁場、などをだ。
しかしながら、これは、たとえば、運動量とは質量×速度のことである、みたいな定義に終始すべきだ、という意味ではなく、あくまで、それら諸量の関係を表す法則網を通して把握する、という姿勢が大切だ。
五感を使って実感する事も大切だが、実験物理学教程の一部と見なされ得るような高級な実験は別として、五感で実感するための実験は、出来れば中学までで済ませておきたい。
  (大学での物理学)対(高校物理)
 =(中学からの数学)対(小学算数)
というアナロジーが成り立つ気がする。
方程式の使用が中学数学では許されているが小学算数では禁じられている事に相当するのは、微積分の使用が大学の物理学では許されているが高校物理では禁じられている事だろう。
決してやり過ぎてはいけないが、方程式を使わずして如何に問題を処理するかが小学算数の妙味であったように、微積分を使わずして如何に問題を処理するかは高校物理の妙味の 1 つに成り得るのではないか?
高校で大学の物理学をやりたければ、カリキュラムとしてそうするのではなく、やりたい生徒は自由にそう出来るように生徒に大学のカリキュラムと教材を開示推薦する、という形が望ましい。
飛び級も、問題はあるかもしれないが、カリキュラムを歪曲するよりは、飛び級のような個別対応の方がマシだ、と思う。
小学校のカリキュラムに中学数学を入れるべきでないのと同じだ。
学校という所は、あくまで、スタンダードを提供する所であるべきであって、あらゆる教育需要に完全に対応する万能機関を目指すべきではないからだ。
教育目標は学校によって違って良いのだが、学校のカリキュラムを破壊したせいでどこへ行っても何がスタンダードなのか分からなくなった、という状況は、絶対に避けねばならない。
それから、低学年では学問の昔の成果を学び、高学年では学問の最近の成果を学ぶ、というカリキュラムの当然の基本に照らして、低学年のカリキュラムは固定的で変化しないはずであって、古くて時代に合わなくなったから変える、と言って、学習指導要領がコロコロ変わる、という事は本来は有り得ないはずだ。
なぜなら、その段階では、もともと、既に確立されてしまって今後変わる可能性の無い古い知識を学ぶのが、正しいからだ。
この点をいじり回して台無しにする文化破壊には、義憤を覚える。
それでは面白くないではないか、と言う人が居るかもしれないが、だからと言って、破壊しても良い、という事には、成らない。
もちろん、学校の先生が、まじめな勉強の合間に、息抜きのような感じで、最近の物理学の魅力について、生徒に話して聞かせる事は、良いが。