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2007年7月8日(日)
二刀流の薦め
日記に書くような事でもないが、プライオリティ確立と備忘のためにここに書く事にした。
僕は、「図の方が大切なのか?数式の方が大切なのか?宇田は図派か?数式派か?」と何度も尋ねられて、その都度「両方とも同じように大切だ。僕は両方を総動員して考える」と答えて来た。
図で進めない時には数式で考え、数式で行き詰まったら図で考える。
図を数式に直し、数式を図に直す。
出来る事は全てやるのだ。
このように、僕は、常日頃から言っている。
これ以外に世間では、右脳・左脳という事も良く言われる。
これの影響を受けた人から、「肝心なのは右脳か?左脳か?」と何度も尋ねられた。
これについても、良く言われるように、右脳の方が左脳よりも高級、とかいう事があるかもしれないが、僕は「
両方を総動員して考えるのが正しい」と常日頃から言って来た。
数式より図、左脳よりも右脳という、俗説がまかり通っているようだが、そういう偏狭な態度では、自分を活かし切る事は出来ない。
数式が読めない、というのは第2の文盲である。
であるから、数式を用いないようにする、のではなく、数式の読み方を学ぶ、という態度が正しい。
数式というものに対して批判的な態度の受け売りが多い。
「数式なんてのは単なる形式的な体裁に過ぎない。そんなものはどうでも良い。それよりも肝心な実質を見失うな」
というタイプの聞いていてアクビの出るような意見だ。
しかし、では、その人は、日常言語に対しても同じ様に批判するのか?
日常言語の事を考えれば、言語の放棄が如何に非建設的な退行であるか、良く分かるはず。
日常言語を使わずに伝えろ、と言われても伝える事が出来ない実質があるように、数式を用いねば伝える事の出来ない実質も、当然あろうが。
数式を嫌がる、というのは、単なる苦手意識だ。
数式なんてどうでも良い、という態度は、酸っぱいブドウである。
話し手の苦手意識とは限らない。
話し手が聞き手の苦手意識を汲んで、そう言う場合もあろう。
苦手なものはどうでも良い、ならば、これほど都合の良い事は無いが、あいにくそうは行かない。
苦手だからしない、という態度では、越える事の出来ない壁がある。
むしろ、苦手で嫌だなあと感じる部分にこそ、何か肝心なものが潜んでいるに違いない、という見当の方が、当たっている場合が多い。
多くの場合、目標の達成には当然苦しみが伴うのだ。
苦しみは嫌だが成果だけ欲しい、という態度では、成果は得られない。
今はそれで良いかもしれないが、その果てにあるちっとも成長していない将来の老いた自分というものを、その人は受け入れる事が出来るだろうか?
少年老いやすく学成り難し、と言う。
それは自業自得であり、自分以外の誰のせいでもない。
僕は、今この瞬間にも、自分にはまだ読めない数式の習得の必要性を、感じ続けている。
後で必ずそれを学ぶつもりだ。