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2006年11月9日(木)晴れ
学会発表旅行記-5-
ある時、自分の部屋に戻る途中廊下で、自分の前を2人組の男が歩いていた。
2人のうちの一人は脚が悪くもう一人がその人の歩行を補助している、という風に僕には見えた。
僕がその2人を追い越さずにその2人の後ろを歩き続けていると、その2人のうちの片方だったか両方だったかが振り返って僕を見たので、僕はその2人を追い越してサッサと歩き自分の部屋の前に到着した。
しかし僕は、そこで直ぐに自分の部屋の鍵を開ける事はせず、その2人組が通り過ぎて自分から十分に離れるのを待った。
鍵を開けた直後の瞬間を狙って強盗が押し込んで来る、という犯罪事例を知っていたからだ。
脚が悪いように見えた人が、実はそうではなく、脚が悪い振りをしているだけかもしれない、という事まで、その時の僕は考えた。
またある時には、自分の部屋に戻る途中廊下で、僕が自分の前を歩いているホテルの職員さんを追い越さずにユックリり歩き続けていると、その人も危険を感じて振り返って僕を見たので、僕はその人を追い越してサッサと歩いた。
お互い、自分の後ろを誰かが歩いている、というのはあまり気持ちの良い事ではないようだ。
自分の部屋に置いてあった案内書には、食事については、高価な食事ばかりが挙げられていた。
その中でも極めつけは、最上階30階にある「ハノハノルーム」と呼ばれる本格的なフランス料理レストランだった。
服装の指定がしてあったし、メニューを見ても、それらしかった。
僕は、案内書に書かれている食事ばかり食べたのではお金がいくらあっても足りない、と思い、1階まで降りて自分の足で食べ物を探し歩いた。
すると有った。
海に向かって大きく口を開けたテラスのテーブルの上に置かれていたメニューを見ると、案内書に書かれているものよりも安価なピザが掲載されていた。
それを持って、カウンターに行き「これを下さい」と申し出たら「それはここではありません」と言われ、カウンターの人はピザ屋の大体の位置を教えてくれた。
それなら、ということで、僕は、そのメニューを持ってそれを読みながらピザ屋に行こうとすると、さっきのカウンターの人に呼び止められた。
そのメニューはピザ屋のものではなくそこのものだ、とのことだった。
それを聞いて僕は、片言の英語で「これ、あなたがたのもの」と言い、メニューをカウンターの人に返却した。
するとカウンターの人は安心してうなずいた。
ピザ屋は直ぐに見つかった。
中に入ってメニューを良く見ると、個人向けサイズのピザは、返却したメニューで見つけたものよりもさらに安いことが判明した。
返却したメニューで見つけたものは複数人で食べるための大判ピザだったのだ。
良く見れば、返却したメニューにもその事が書かれていたのかもしれない。
これで食事のメドは立った。
基本的に食事はピザでしのぐ事にした。
個人向けピザ1枚と水の入ったペットボトル1本を買って部屋に戻った。
ピザは、見栄えは日本人好みとは言えなかったが、食べてみると美味しかったし、分量的にも十分だった。
ピザ屋にお金の入った皿が置いてあり、ピザ屋の人にそれが何かを尋ねると「チップです」と言われたので、情報サーヴィスの男の子にチップについて尋ねた。
「どこで必要でどこでは不要なのか?ピザ屋では?」
「必要な場合額はどれだけなのか?」
という風に。
男の子は「ピザ屋では不要、レストランの給仕さんには必ず渡してください、サーヴィスが悪かったら渡さなくて良いですが、額の相場は15パーセントです」と教えてくれた。
僕が、ハノハノルームに行ってみよう、と思うようになった原因は、情報サーヴィスの男の子のこの説明と、部屋に置いてある案内書でハノハノルームが名物扱いされていた事だ。
チップについて情報サーヴィスの男の子に尋ねたのは10月29日の事だったかもしれない。
ちなみに、僕はピザ屋の皿にも毎回チップを入れた。
部屋で携帯電話のスイッチを入れると「圏外」だったので、部屋の固定電話で日本の自宅の父に電話をかけたがつながらなかった。
部屋のテレビは、リモコン操作によってテレビでインターネットが出来る、という優れものだった。
このシステムについては僕は、以前に自分でも同じ事を思いついて父や友人に語った事がある。
ので、成るべくして成ったシステムだ、と思った。
テレビの操作方法は十分に把握できなかったが、寝ることにした。
こうして、長い10月28日は終わった。