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2006年7月28日(金)晴れ
物理勉強法には危険がいっぱい
ただ今、量子力学のノートを作成中。
書いてて思う事は、他の科目に比して分量が段違いに多い、という事。
相対性理論と比較しても、量子力学の方が、段違いに分量が多い。
これだと、物理学科の大学生は、勉強時間のほとんどを量子力学に割かねばならない。
正確な分量比は後日発表するとして、ここでは、僕の失敗談と失敗から得られた教訓を書きたい。
大学生の頃の僕は、量子力学の勉強に着手する前に、他の科目にものすごくたくさんの時間と労力を割いてしまった。
初等力学(ニュートン力学)と電磁気学にだ。
それも、後で分かった事だが、電磁気学に関しては、僕のやっていた事は、砂川重信が間違った勉強法として戒めているものに他ならなかった。
その結果、砂川重信が「そのやり方だとコレコレの結果に終わるよ」と警告する通りの状態に、物の見事に陥っていた。
だから、僕の場合、量子力学の勉強にはあまりたくさんの時間が残されていなかっただけでなく、大学入学後2年半経過した時点で、確実にモノに出来ていたのは、数学は別として、初等力学のみで、電磁気学についてはまだ全く要領を得ていない状態だったし、解析力学は在学中にはマスター出来なかった。
もっとも、解析力学については、教科書の記述の仕方に伝統の轍的な共通の欠陥があるので、出来ない生徒向きの教科書まで含めて複数の教科書に当たってどれも理解できなかった僕の方がマトモだった、ということが今では判明しているが。
なぜ、僕は時間や労力の資源配分を間違ったのか?
それは、自分の能力の限界や人間一般の能力の限界についてのとんだ心得違いを、僕がしていたからだ。
大学入学時の僕は、相対性理論と量子力学の理解を、自分の学究の最終到達点ぐらいに考えていた。
それが出来るのは特別賢い一部の例外者だけで、そこに到達しただけで対他競争で1番に成れ、さらに、相対性理論や量子力学は終わっておらず、物理学研究の中心として今でも続いていて、それらを超えた研究というものは全て絵に描いた餅で、物理学研究の中では周辺的な存在だ、というぐらいに考えていたのだ。
この認識を前提にすれば、相対性理論と量子力学の勉強に取り掛かる前に、そのための準備として十分に時間をかけてそれらより以前の物理学を勉強して自分の基礎学力を高めておいて、最後の最後に大詰めとして際限なく時間と労力を投入して相対性理論と量子力学を攻めれば良かろう、自分以外の者は準備不足がたたって途中で脱落するはずだ、という事に成るが、この認識は誤っている。
と言うのは、一つには、量子力学をマスター出来る学生は例外的な存在ではなく、それは優等生レベルなら誰でも出来る事だからであり、もう一つには、相対性理論や量子力学の研究は物理学の中心問題としては既に一応終わっており、それを超えた理論として、場の量子論の理論体系というものが、絵に描いた餅としてではなく、相対性理論や量子力学と同じぐらいに信頼できるものとして、既に確立されているからだ。
さらに、現代の研究者によって行なわれている、相対性理論や量子力学を超えた研究というものは、物理学の中心的な研究であって、決して周辺的ではない。
僕がそれを知ったのは、大学4年目だった。
自分以外の学生が、僕ほどではないにしても、量子力学を一応理解しているのを目の当たりにして、僕はひどくショックを受けた。
詳細を暗記している、という点においては、その学生の方が僕よりも上だった。
その学生は、勝手に一人で勉強派の僕と違って、先生の適切な指導に従った為だろう、僕よりも早くから量子力学の勉強に取り掛かっていたようだ。
そういう学生を見て、自分を知り他人を知る事が出来た、という意味において、僕は、自分が東京理科大学に行った事には意味があった、と思っている。
そういう時、自分の天才とは何であるかを、真面目に考え直さざるを得なくなるからだ。
相対性理論と量子力学を正しく理解でき、それを適用して他人よりも難しい問題を解く事が出来る人に成り得る事が自分の天才であり、それが自分の限界である、と誤って考えている限りにおいては、それを超えた者には絶対に成り得ない。