since 2003
イレコナビ サイトマップ
< 日記 >
< 2006年07月 >
< 26日 >
2006年7月26日(水)晴れ
混迷に満ちた教育論に喝
計算ドリルは時代遅れで百マス計算は画期的なのか?
「俺について来い」型の教師は時代遅れで、厳格な職人師匠は良き伝統なのか?
変だと思わないか?矛盾してるだろうが。
答えを教えてやる。(既に知ってる人にはゴメン)
小学生には計算ドリルで良いんだよ、計算ドリルが必要なんだよ。
百マス計算が評価されたという事は、そのことが再確認された、と言うだけの事だ。
計算ドリルを取り上げると学力が低下したからだろうが。
計算ドリル→無計算ドリル→百マス計算、という風に進歩したのか?
バカ言っちゃあいけない。
計算ドリル→無計算ドリル→計算ドリル、という風に元の鞘に納まったんだよ。
百マス計算は計算ドリルだからだ。
「俺について来い」型の教師で良いんだよ。
それが出来るのは、居るはずが無いぐらいに学力が優れている教師だけだ。
前に書いたように、先生というものはなあ、本来、そういうものなんだよ。
だから、それが出来ないその他大勢の教師が、教師間の優劣差が見えないようにして欲しい、という自分の都合を、「俺について来い」型の教師は時代遅れだ、という希望的観測に託して、教育論を捻じ曲げているんだろうが。
自分には勝てない事項を、教師の評価基準として最重要項目ではない、と言ってる当の本人が、その事項での教師間の優劣差を、生徒にも生徒の親にも知られたくない、と思ってる、という事なんだよ。
ここまで日付をさかのぼって書いた。ここを書いたのは7月31日。