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2006年6月11日(日)晴れ
今、何ファンド?
単に不正に利益を得るだけなら(額にも依ろうが)軽い罪だが、他人の生き方を左右するような行為については、不正行為は重い罪だ、というのが僕の感じ方だ。
それはそうと、今日は、「稼ぐ」「儲ける」の倫理について書きたい。
とかく、投資家の投機行為は批判の対象に成る。
その理屈は、おおむね、儲けに見合った何かを産み出していないから投機行為は不健全だ、というものだ。
(もっと下劣なのには、楽して儲けるから、と理由付けをするバカも居るが、これはバカ過ぎて論外で話にならない)
これに対しては、経済学の見地から、「いやいや、それなりに産み出してるよ」という弁解もあるようだが、僕がここで書くのはそれについてではない。
僕が言いたいのは、投機行為を批判する連中も、稼いでいるかいないかという基準で人を測っているという点で投機家と同じ穴のムジナだ、という事だ。
つまり、たいていの大人は、何か創造的な事に取り組んでいる若者に対して、どういう態度を取るか、ということだ。
その創造的な取り組みで十分に稼げてるなら、悔しいけど何も言えない。
せいぜい、自分の方がたくさん稼いでいる、という事実にでもしがみ付いて、悪くても、その分だけ自分の方が偉いんだ、という価値観を押し付けにかかるぐらいのものだろう。
しかし、稼げてないなら、それを知るや否や、直ぐに批判がましいことを言い出す。
「稼ぎに成る仕事よりももっとズッと重要な事に取り組んでいるんだ」と説明しても「本当に重要かどうかは、それで稼げるかどうかで判断されるのであって、お前が自分で重要だと言ってるだけで稼げてないのなら、そんなのは自己満足であって、客観的には重要ではないのだよ。したがって、重要である事を理由付けるお前の理屈は屁理屈だ。屁理屈をこねるな」とでも反論されるだろう。
このように反論するのと同じ人物が、投機行為を批判する、というところに、大きな欺瞞がある。
そういう人には次の様に言いたい。
有意で有るか無いかは稼げてるか稼げてないかで判断されるべきなのなら、稼げてる投機行為は有意であり、そうでないとするあなたの理屈は自己満足の屁理屈という事に成るが?
それがあなたの思想だったはずだ。
結局、あなたは、自分が負けるのが嫌なだけなんだ。
金以外のことで負けるなら金の話を持ち出す。
金で負けたら金儲けをけなす。
この様な言いザマこそが屁理屈だろう。